新選組関連幕末年表?
※かなり間違っている可能性もありますので、めっちゃ本気にはしないで下さい。
※イメージとして、赤文字で一部オリジナル和風新選組シリーズ曲タイトルを入れてます。
(そういう意味で表を作ったので)。
年代 | 月日 | 出来事 |
1853(嘉永6) | 6/3 | 浦賀にペリー率いる黒船来航。(しょっぱなは「暗雲~幕末~」「暗雲-2021-」) |
1854(安政元) | 3/3 | 幕府が日米和親条約に調印。 |
1856(安政3) | 7/21 | 米駐日総領事・ハリス、下田に来航。 |
1858(安政5) | 4/23 | 彦根藩主・井伊直弼、大老に。 |
7/6 | 将軍徳川家定没 35歳。 | |
9/7 | 安政の大獄始まる。 | |
10/25 | 徳川家茂14代将軍に。 | |
1860(万延元) | 3/3 | 大老・井伊直弼尊攘派水戸浪士らに暗殺される(桜田門外の変)。 |
1861(文久元) | 8/28 | 近藤勇、武蔵国府中六所宮で天然理心流四代目襲名の野試合行う。 |
1862(文久2) | 7/6 | 一橋慶喜を将軍後見職とする。 |
7/27 | 京都守護職を設置。 | |
閏8/1 | 松平容保を京都守護職に任命。 | |
1863(文久3) | 2/4 | 清河八郎が伝通院で浪士隊呼びかける。 |
2/8 | 清河八郎、芹沢鴨、近藤勇ら浪士隊一行、江戸を出発。 | |
2/11 | 本庄の宿にて芹沢、大篝火事件(←個人的に勝手に命名)。 | |
2/23 | 浪士隊一行、京都の壬生村到着。新徳禅寺に浪士隊本部を置く。 | |
3/4 | 将軍家茂二条城に入る。 | |
3/12 | 芹沢、近藤ら浪士隊残留組は、会津藩お預かりとなる。(新選組) 「新撰組~誠~(元祖版)」「壬生狼~Theme of MAKOTO~」「TON-SYO~壬生編~」「郷愁~壬生~」「MIBURO~試衛館メドレー~」「MIBURO-SHIEIKAN-2007」あたりもOKかな |
|
3/13 | 清河ら帰東浪士隊、江戸へ。 | |
4/13 | 清河八郎、佐々木只三郎らに暗殺される。(34歳) | |
5/10 | 長州藩が攘夷を決行し、下関で外国船を砲撃。 | |
6/2 | 芹沢、近藤ら大坂出張。蜆橋で力士と乱闘。 | |
7/2 | 薩英戦争。 | |
8/18 | 公武合体派が宮中クーデターを決行、尊王急進派七卿と長州勢力が御所から締め出される8・18の政変で新選組出勤。「出陣」あたり 「新選組」を拝命、市中取締り下命。 |
|
9/14 | 新見錦、祇園料亭で切腹。 | |
9/18 | 角屋で宴会後、芹沢鴨「乱~Theme of芹沢~」・平山五郎、八木邸で暗殺。(その後の隊結成で「結成!」「MIBURO(長編)」、副長土方の鬼度も増すので「鬼炎~Theme of土方~」あたり) | |
1864(元治元) | 3/25 | 一橋慶喜、禁裏御守衛総督を命ぜられる。 |
4/26 | 見廻組結成される。 | |
6/5 | 早朝に古高俊太郎捕縛。夜に京都三条池田屋で密会している尊攘派浪士を急襲。吉田稔麿ら死亡。桂小五郎は逃れる。(池田屋事変)「JIHEN-IKEDAYA」「IKEDAYA-2019-」 | |
7/11 | 佐久間象山が肥後藩士・河上彦斎らに暗殺される。 | |
7/19 | 長州藩と幕府側が京都御所の蛤御門で戦闘。久坂玄瑞ら死亡。(禁門の変)「禁門の変-ドンドン焼け-」 | |
7/21 | 山崎天王山に進攻、橋本、枚方を経て大坂御堂に宿陣。真木和泉ら、天王山で自決。 | |
7/23 | 長州藩追討の勅令。(第一次長州征伐) 新選組の追撃あるも桂小五郎またも逃れ但馬に。 |
|
8/5 | 英・米・仏・蘭4連合艦隊、下関海峡で長州藩と交戦、後長州降伏。 | |
9/9 | 近藤ら、幕府要人警護で江戸到着。伊東甲子太郎(「いろはてふてふ~Theme of伊東~」)を勧誘、ほかにも隊士募集。 | |
9/30 | 近藤勇帰郷。 | |
10/15 | 近藤らと伊東一派が江戸を出発。(このあたりで「秋宵~局長番外編」でもいいなぁ) | |
1865(慶応元) | 2/23 | 山南敬助(「思慕~Theme of山南~」「梅」でもOK)、新選組を脱走、切腹。介錯は沖田総司。 |
3/10 | 新選組、屯所を壬生前川邸から西本願寺へ移動。「TON-SYO~西本願寺編~」 | |
4/27 | 土方、斎藤ら、53名の隊士を集め江戸出立。ここで吉村貫一郎が加盟。(壬生義士伝で有名ですよね) | |
閏5月 | 坂本龍馬、亀山社中を組織。 | |
5/22 | 将軍徳川家茂入洛。新選組は三条蹴上から二条城まで将軍を警護。 第二次長州征伐奏上。 武市半平太切腹(37歳)、岡田以蔵梟首(27歳) 「阿梦聲ゑ如義-Theme of以蔵-」「君ガ為-Theme of岡田以蔵2-」 |
|
11/4 | 近藤ら、長州尋問使長の大目付永井尚志の広島出張同行。11/16広島到着。 12/16近藤ら新選組、岩国方面視察に残留、長州に入れず。 |
|
1866(慶応2) | 1/21 | 西郷・桂、坂本龍馬の仲介により薩長同盟成立。 |
1/28 | 近藤ら、広島へ出立、2/3広島到着。 | |
2/12 | 勘定方河合耆三郎、会計不足の責任を負わされ切腹。 | |
4/1 | 谷三十郎、祇園石段下で殺害される。 | |
7/20 | 将軍徳川家茂逝去。(21歳) | |
8/21 | 第二次長州征伐中止の沙汰出る。 | |
9/12 | 三条大橋の制札に危害を加える浪士を新選組が斬り伏せる。宮川助五郎を捕縛。(三条大橋制札事件) | |
12/5 | 一橋慶喜、15代将軍になる。 | |
12/25 | 孝明天皇崩御。 | |
1867(慶応3) | 1/7 | 四条大橋の乱闘。 |
1/9 | 明治天皇即位。 | |
3/20 | 伊東甲子太郎、禁裏御陵衛士を拝命し、新選組から分離。藤堂平助(「斜光~Theme of藤堂~」)、斎藤一(「Dark Wolf~Theme of斎藤~」)もともに行く。(高台寺党結成) | |
4月 | 坂本龍馬、亀山社中から海援隊へ改編。「桜花~翔天~」 | |
4/14 | 高杉晋作死去。(29歳)「乱舞-The奇兵隊-」「乱舞-2021-」 | |
6/8 | 伊東ら御陵衛士、東山月真院に移る。「水無月~高台寺党~」 | |
6/10 | 新選組、幕府の直参となる。 | |
6/15 | 新選組の屯所が西本願寺から不動堂村へ移る。 | |
7/29 | 中岡慎太郎、陸援隊を組織。ここで「桜花~翔天~」でもOK | |
10/15 | 徳川慶喜、大政奉還勅許の沙汰を受ける。「大政奉還」 | |
11/10 | 斎藤、月真院から脱出。 | |
11/15 | 坂本龍馬、中岡慎太郎が近江屋の2階で、幕府見廻組に斬殺される。「桜花~翔天~中岡Mix(未完成)」あたり | |
11/18 | 伊東甲子太郎、藤堂平助らが暗殺される。(油小路の変) 山口次郎(二郎)(斎藤一)、新選組に戻る。 |
|
12/7 | 海援隊・陸援隊士が天満屋で紀州藩士・三浦久太郎と新選組(山口次郎ほか)を襲撃。(天満屋騒動) | |
12/9 | 王政復古の大号令により将軍職廃止、守護職も廃止、新選組は新遊撃隊に編入されるが、12/12新遊撃隊を返上、新選組に隊名復帰。 | |
12/16 | 新選組、伏見鎮撫として伏見奉行所に本陣移動。「TON-SYO-伏見編-」 | |
12/18 | 近藤勇、伏見街道墨染あたりで高台寺党の残党に狙撃され右肩負傷。 | |
12/20 | 近藤、沖田とともに療養のため大坂へ。あとを土方(このへんで「鬼炎-Theme of土方(NEW)」を聴いてもOKかな)に託す。 | |
1868(慶応4) | 1/3 | 上鳥羽の小枝橋で薩摩兵が発砲、鳥羽・伏見の戦いが起こる。(戊辰戦争)「Wars of TOBA-FUSHIMI」「雪中梅華(紅蓮羽)」「BOSHIN」「雪之舞」「深々と…」「Snowing-雪降る間に-」「時代ノ変幻」 吉村貫一郎もこのあたりで消息不明に。壬生義士伝での最期はフィクションで実際はこの頃戦死した嘉村権太郎と同一人物とされている。(享年29歳) |
1/4 | 井上源三郎(「余映~Theme of井上~」)戦死。 | |
1/5~6 | 新選組は会津兵とともに戦っていたが、長州兵におされ淀千両松に後退するがそこでも薩摩兵に敗れ、更に橋本まで撤退。監察方山崎烝(「鼓動~Theme of山崎~」「HAYABUSA-Yamazaki-(鼓動mix)」)がこのあたりで戦死したとかしないとか…さだかではないため不明。 | |
1/7 | 慶喜追討令が出る。大坂城の慶喜は、松平容保、定敬を伴い開陽丸で帰東。 | |
1/10 | 近藤ら、富士山丸・順道丸に乗船、江戸へ。「江戸へ」 | |
2/12 | 慶喜、2/11上野寛永寺へ移った後上野東叡山大慈院へ移り謹慎。 | |
3/1 | 新選組は、甲陽鎮撫隊として甲州に出陣(出陣といっても攻撃にいったのではない)。 | |
3/6 | 甲陽鎮撫隊、勝沼にて戦闘をやむえずするが敗戦。 | |
3/11 | 永倉新八(「五月雨~Theme of永倉~」)、原田左之助ら新選組より分裂。 | |
3/13 | 西郷、勝と会談、江戸城開城の了解。 | |
3/14 | 近代日本の最初の憲法ともいうべき?「五ヶ条の御誓文」 甲陽(下総)鎮撫隊(新選組)は五兵衛新田へ。 |
|
4/1 | 近藤ら流山へ着陣。 | |
4/3 | 近藤投降。土方は江戸へ。 | |
4/11 | 江戸城無血開城。慶喜、水戸へ退去。 | |
4/19 | 土方軍、宇都宮城を攻略。 が、官軍が進軍し、4/23土方、総大将の大鳥圭介の病気と不利が重なり、やむなく脱出。城防衛戦で負傷し、今市に下る。「戦線離脱-宇都宮戦-」 |
|
4/25 | 近藤勇、板橋の刑場で斬首。(35歳) 閏4/8、京都三条河原で首晒される。 |
|
4/26 | 土方、会津領田島陣屋に到着する。4/29、会津7日町の清水屋に投宿、流山隊士と合流。「會津へ~馳せる想い~」 | |
閏4/5 | 山口(斎藤)、会津における新選組隊長に命ぜられる。白河口の戦いへ。以後暫し奮闘。「鬼神丸国重」「雲夢~Theme of一戸傳八変名ver.」をこのへんで聴いてもOKかも | |
5/15 | 上野で彰義隊敗れる。 | |
5/17 | 彰義隊に参加していた原田左之助没。(28歳)「動燃~Theme of原田~(最期追加版)」 | |
5/30 | 沖田総司、江戸で病死。(25歳)「明暗-沖田裏表Mix-」「渦葛-沖田番外編-」「終焉-剣と共に-(沖田総司mix)」 | |
7/17 | 江戸を東京と改称。 | |
8/19 | 榎本武揚、幕府の艦隊「開陽」「蟠龍」「回天」など8隻を率い、品川沖から脱走。 土方は残った新選組を率い旧幕江戸脱走軍に参加。 |
|
8/21~23 | 新政府軍、母成峠で、同盟軍を撃破、若松城下へ進軍(母成峠の戦い)。新選組以下、会津城下に敗走する。 翌22日あたりで山口(斎藤)新選組本隊とはぐれる。が、後に猪苗代城で土方と面談。このへんで斎藤は会津残留決めた?土方は列藩同盟の方へ行くが後離脱、斎藤と別行動となる。 |
|
8/23 | 新政府軍、会津城を包囲。城下に火を放ち、それを見た白虎隊が鶴ヶ城落城と判断してしまい自刃。 | |
8/25 | 鶴ヶ城攻防戦始まる。 | |
9/5 | 山口次郎(斎藤一)らが守備する、会津高久村南方の如来堂が新政府軍によって急襲される。(如来堂の戦い)(個人的に入れたw) | |
9/8 | 明治と改元、一世一元制に。 | |
同年(明治元) | 9/14 | 会津の鶴ヶ城(会津若松城)総攻撃。ここで「會津へ-馳せる想い-」でもOKかな。 |
9/22 | 会津藩降伏。 | |
10/2 | 榎本武揚艦隊、石巻湾を出港。蝦夷地へ向かう。 | |
10/13 | 江戸城を皇居に、東京城と改称。 | |
10/18 | 新選組も蝦夷へ出航 | 10/20 | 榎本武揚ら、蝦夷地に到着。25日に松前・弘前藩兵を破って五稜郭に入る。「蝦夷五稜郭-光陰HIJIKATAmix-」 |
10/26 | 土方軍、五稜郭に入城。 | |
10/28 | 土方、松前攻略に出陣。 | |
11/5 | 土方、榎本軍とともに松前城を攻略。 15日には、江差占領に成功するが、新造軍艦開陽を失う。 土方はその後熊石も向かった後、五稜郭に凱旋する。 |
|
12/15 | 榎本軍蝦夷地平定、五稜郭を本陣とする。蝦夷政府、武士階級による選挙を実施し、榎本武揚を総裁に選出。土方は幹部として陸軍奉行並となる。 | |
1869(明治2) | 1/5 | 横井小楠が京都丸太町で暗殺される。 |
1/20 | 薩長土肥四藩主、版籍奉還を上奏。 | |
3/25 | 土方、新政府軍の甲鉄艦奪取を目的とした宮古湾海戦に参加するが作戦は失敗。 | |
4/9 | 新政府軍、乙部に上陸し、土方は二股口に出動。13日に二股口の激戦。 16日には新政府軍、江差に上陸。翌17日、松前城陥落。 |
|
4/29 | 五稜郭へ撤退するが、蝦夷政府軍矢不来砲台も陥落。 | |
5/1 | 島津忠鑑、西郷隆盛ら、蝦夷へ向けて鹿児島を出発。 | |
5/5 | 土方、市村鉄之助に日野への最後の命令。涙。 がしかし!ここで論争発見。日野に来たのは鉄之助であらず、鉄之助は函館で死んだという否定説浮上…。亀太郎という人物が実在し、日野に来ていますと。結果鉄之助が土方の遺品を持ってきたのは事実と結論。亀太郎も来ているが、その前に鉄之助が来ていて当時賊軍として扱われるため名前を出すわけにはいかなく匿われていたけど表記出来なかったらしい。亀太郎は降伏軍として名が表記出来たと。が、鉄之助の西南戦争戦死説は覆され、大垣で若くして病死した事が判ってきたらしい。 |
|
5/11 | 土方、新政府軍の総攻撃に出陣、箱館奪還目指して大森浜に急ぐが、一本木関門にて馬上で官軍に狙撃され戦死。(35歳)「光陰-Theme of土方in函館」(修正追加版) | |
5/15 | 新政府軍、五稜郭総攻撃を再開。弁天台場の新選組(島田魁も(「信情~Theme of島田~」))ら降伏。千代ヶ岱砲台も陥落。 | |
5/18 | 榎本武揚、黒田清隆降伏、五稜郭開城、戊辰戦争終結。「鎮魂乃調」 | |
おまけ?1877(明治10) | 2/15 | 西南戦争突入。大久保、川路ら色々模索。 その結果?20日藤田五郎(斎藤)警部補になる。 |
5/18 | 藤田五郎、西南戦争へ出陣。(実はその前の2月のあの田原坂の抜刀隊ではなかった!)(でもその田原坂抜刀隊のメンバーが戊辰戦争因縁あたりで関わるので、「輪廻~時代を越えて~」もいいかも) 全然余談で関係ないけど!斎藤が数々の修羅場をくぐってる間に、るろうに剣心の剣心は抜刀斎時代が伝説となり、ただいまるろうに中で、神谷薫の父親神谷越次郎も田原坂の抜刀隊にいて戦死と。 |
|
5/26 | 桂小五郎病死。(45歳) |
参考資料…ネットあちこち色々かけずり検索